写真選評
'1967s ~ '1986s

’1976 第2回フォトグランプリコンテスト
「時雨」 グランプリ賞
審査員:秋山庄太郎・伊藤知巳・岩宮武二・植田正治・林忠彦・三木淳

「千載一遇のチャンスをささえる不断の努力が創った安田作品」

●植田 安田さんはベテランでもあるし、見せ方もうまいと思うのですが、何よりもこういういいチャンスに巡り合わせたということが、今回のグランプリの受賞につながったのだと思います。ただ、一寸気になるのは、非常にスケールの大きな写真でありながら、比較的小さく焼いていることですね。何かそこに意味があるのかと思うのですが、何も意味が無いようですし、これはむしろ断ち落としても、大きく焼いた方が迫力が出たのではないかという気がします。

●三木 この写真は、多くの審査員が支持したわけですが、こういう写真はたまたま撮れるものではなく、普段から一つの目的を設定して、こういう写真を撮ろうと、何回もこうした状況に出会う努力をされたと思うのです。だから、この作品は植田さんが云われたことにプラスして、作者の不屈な努力の結果、これだけのものが生まれたのだと思いますね。ただアイデアだけで撮った写真であったとしたなら、もっと内容が切迫していたとおもいますね。私は土砂降りの日に行って撮ろうと不断の努力が、ここに花を咲かせたと考えるわけです。だから、単なるアイデアとか、小手先で創った作品ではなくて、体をはって創ったという感じが、我々審査員の多くに訴えたのだと思いますね。

●林 安田君というのは、大変器用な人で、何を撮ってもうまいひとなんですが、この写真の場合、白黒の効果を非常によく心得ているということを強く感じましたね。

●岩宮 植田さんは絶好の条件であったようなことを云われましたが、僕の見方は三木さんの方に片寄っているような気がするんです。やはり、こういったものは、なるほど一期一会的なものではあるんですが、その一期一会を支えるものが無いと、こうは撮れないものなんですよ。条件だけ見て一期一会だと思っても、撮れないものは撮れないんです。仮に撮ったとしても、これほどには表現できない・・・云うならば、何か賭けているというアクティブさというものが無ければ駄目だと云うことですね。それが安田さんの場合、支えとなってこういった作品になったのだと思います。そこに敬意を表したいと思います。

●伊藤 題名は「時雨」となっているんですが、秋雨たちこめる雰囲気が直接せまってくる感じがするんです。3枚組で、非常に無駄無くその雰囲気を伝えていますね。雨が降っているシーンが2枚、そして雲間から太陽が降りそそいでいる感じが1枚・・・実に良く気分をまとめていますよ。それから対象に切り込んでいこうとする気迫が・・・しかも押さえながらも強くそれを感じることが出来る写真だと思います。

●岩宮 手放しでいっていないということですね。押さえ込んでいながら、なおかつ出しているんですよ。普通の人は、出すだけ出してやろうというやり方でしょう。それがストレートに出したものより強いというのは、見方、考え方、表現の仕方が、かなり安田さんは出来ているということになるんでしょう。

●伊藤 そうですね。

’1977 日本フォトコンテスト誌 1月号
「越前」
全国優秀作家誌上展

●林忠彦 一目で越前であることがわかります。冬の越前の寒々とした感じ、しかも太平洋側とは違った鉛色の海と荒い波。それに子供、おばあちゃん、鳥とかそれぞれ違ったものを捉えながら、しかも一つの流れを持たせているあたりうまさを感じます。1枚ずつ見ると、それほど面白みのある写真は少ないけれど、やはり、5枚にしてまとめて見ると越前がグッと出てきます。安田さんは写真の組み方というものを非常に心得ていると思います。

’1977 日本フォトコンテスト誌 2月号
「気配」
全国優秀作家誌上展

●秋山庄太郎 安田君特有のポエジーものといえましょう。「気配」というタイトルで、季節の変わる気配なのか、あるいは、季節にまったく関係の気配を謳おうとしたのか良く分かりませんが、いずれにしてもさり気ない風景を撮って、一寸気になるまとめ方をしているのは、やはり安田君のたぐいまれなるテクニックだと思います。

’1977 日本フォトコンテスト誌 3月号
「湖畔」
全国優秀作家誌上展

●岩宮武二 今回の作品の中で一番異色なのが、この安田君の写真です。例えば、水没したブランコを捉えた写真などは、一種のリペイズマン的(あるべきところにあるべきものが無い)な面白さがあります。もう一枚は小さい亀が水辺を歩き回っている写真ですが、これなんか上の部分は何かが写り込んでいるでしょうが、それをとばしたところには、何か相当の配慮があったでしょう。ただ、これを二枚で組んで妥当であったかは、一寸疑問です。つまり、云わんとしているところは別のことだと思います。このように二枚に組んでプラスアルファがより拡大されていくか、マイナスになるか僕にも一寸分かりません。その辺を安田さん自身も考えて見て下さい。ともかく、大変異色で今回登場してきた人とは違った方向を歩いていると思います。

’1977 日本フォトコンテスト誌 5月号
「出番前」
全国優秀作家誌上展

●秋山庄太郎 安田君は大変器用な作家で、こうしたスナップ的なものを撮っても空間の処理の仕方がうまく、所謂見せる写真を創る技術を良く知っている人です。右の写真は手前に浴衣を着た出番前の少女を置き、向こうに三人が自然に並んでいる姿をパースペクティブに写し込み空間の使い方が大変うまいのです。また左の写真は、まだカツラをつけていない女の人を端に置き、その左をあけてボケた人物を写し込んで大変ポエジーのある写真にしています。なかなかのベテランの味です。

’1977 第11回「キャノンコンテスト
「ピアノ」優秀賞・東松照明賞
審査員:石本泰博・斉藤康一・高梨豊・東松照明

●東松 全く批評のしにくい写真なんですよね。「ピアノ」という表題は最終的に裏をめくってわかったことなんだけれど、何の変哲もない、何を撮ったかわからないようなそんな不思議さにまずひかれて、それからずっとひっかかってきたわけで、最後に裏を見たらこの題ということで、かなり決定的に支持することに決めたんですよね。というのは、たの作品を見るとわかると思いますけど、被写体に対する思い入れというか、自分の写したかったものが題名に如実に表れているわけですね。それはそういった思い入れをスパーンと切っちゃっているんですよ。肝心のピアノも写ってないんですよ。だけど確かにカバーの向こうにピアノがあるだろうってことはわかる。その含蓄の深さだなあ。だから女体に例えるならチラリズムですよ。全部覆われていてね。どっかチラッと見えた。そこのところで目が吸い込まれちゃったんだあ。不思議さが起爆剤になって、かなり知的に誘い込む写真だよね。

●斉藤 組の中の一点だったらわかるんだけど、一枚の写真でこういうものをスポーンと撮ったっていうね。それにとっても感心するんだ。物っていうのはおもしろく撮れるんだなあって感じた。

●東松 不思議な写真だし、いい写真よ、かなり・・・本当なら最優秀賞あげたかったんだけど(笑)

’1978 第2回 ポジポジカラーコンテスト
「彩り」 銅賞
●秋山庄太郎 安田君は色々と夢っぽい写真を撮る人だから、花火を撮っても、ただの花火の華やかさだけ撮るというのではなく、非常に詩的に繊細に撮っています。

’1981 カメラ毎日 5月号
a white day in paris
●田中雅夫(写真評論家)

 パリではマロニエの落葉が道路を埋め靴の下でカサコソと音を立てる頃から冬になり、やがてこの写真に見られるような雪の日も来るのだろう、美しい抒情の趣があるのはこの写真が示すとうりである。特に写真①などは清冽で、かつ耽美の詩情の特色さえそなえているではないか。

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