写真選評
'1967s ~ '1986s

’1973 カメラ毎日 11月号
「風船少女」 入選
小川 遠くに小さく浮かんでいる風船と手前にぼけた少女と何か非常にファンタスティックな感じですきです。

秋山 僕はこれ好きなんですよ。編集は入れてくれなかったけれど、いい絵です。向こうの森の上の小さい風船は、こどもの小さな希望を象徴している。そして、その子の小さな希望が入れられるのか入れられないのか、少女をぼかすことで感じさせようとした。なかなか意味深長な表現の気がする。

’1973 カメラ毎日 12月号
「休校」 3席
●平 突っ込みが足りないといいますか、画面からの訴えかけが、もう少しという感じを受けました。

●岩石 僕だったらおそらく傘をさした子供を一人ぐらい、ぽっんと入れちゃうんじゃないかな。もうひとつしっくり来ませんでした。

●秋山 なかなかむずかしい写真ですが、風景写真というものは、きれいに撮れたからといって入るものじゃないんだな。それはなぜかというと、きれいというのは、もののほうがきれいなんですね。その中から、作者が自分のものをどう掴みだしてくるかが問題でしてね、この画面見ていると、雨の日の静かな感じがよく出ているでしょう。人っ子一人いない校舎も、昼間の晴れた日だったら、ワアワアいう児童の声がするわけですよ。その変化の中に、ひとつのしじまがあると思うわけで、これは作者が発見した風景の見方じゃないですか。

’1973 第66号 サロン・ド・ニッコール
「思い出」 2席
審査員:三木淳・稲村隆正・佐藤明
応募数 1,917点

 ふつうに引伸したらつまらない写真になってしまうネガを引伸しによってハイキートーンの面白さにしユーモラスな生き物が存在するように見せたユニークな作品で、対象の出来あがりを想定してつくられた感じだ。 

’1974 NO.7 ROKKOR CONTENTS
「おんな」
●玉田顕一郎

 惜しくも賞を逸してしまった写真ではあるが、なかなかユニークな作品なので誌上に掲載しました。この4枚の写真は組写真ではなくそれぞれ一枚写真として応募されたものだが、こうして4枚を並べてみると作者の新鮮な眼がより一層感じられる。左上の写真はダイナミックな力感があり左下は情緒的である。右のさつきとおんなは不思議な雰囲気が漂っている。全体に女を見る眼に、一瞬よぎり去る感情の流れをとめて、情感をきわだたせている。特に画面の空間処理が見事に美しい。

’1974 カメラ毎日 1月号
「蝕」 2席
●岡部 異様な風景ですね。現代の世相の一端を思わせるような作品で非常にいいと思ったんですけれども、ちょうどまん中に人物がいて大変目ざわりなんですね。これでイメージが壊されたということです。

●大規 暗い感じがよく出ていて、いい作品だと思いますけれども、岡部さんとまったく同じ意見です。

●秋山 これを見たとき、まず自動車の墓場のような感じがしますね。同時にそういうものがあるために、この風景の美観がくずされてくる。僕は、そういうところを作者はねらっているんじゃないかと思うんですが、面白い着眼ですよね。前景の人物が問題になりましたが、それよりもなによりも、景色のいいところが自動車の腐ったやっで埋められていくという我々の生活の半面が強く浮彫りされている。

’1974 第68号 サロン・ド・ニッコール
「嵯峨野の夜」 2席
審査員:三木淳・稲村隆正・佐藤明・細江英公
応募数 2,697点

 5枚組のうち4枚まではコンセプトがはっきりしていてなかなかユニークな面白さを感じるが、最後の1枚は余分のように思われる。こういうねらいの作品はねらいを定めたら徹底してやることが必要で、そういう意味で少し首尾一貫を欠く感じがあるわけである

’1975 サン・フォトコンテスト
「冬日」 推薦
審査員:秋山庄太郎・中村正也・林忠彦

●林 推薦になった安田稔君の作品は、大阪光芸クラブのいき方をよく身につけて、それを生かしながら、しかも外国へ行ってこれだけのものを撮ってくるというのは、当然推薦に値する努力作だと思います。冬の日の空気感が良く出ているし、陽の当たっている部分と陰の部分のもり込み方が実に堂に入っています。

●秋山 安田君の写真が残ったのは、やはり新鮮さがあったからだと思います。これはマカオだと思いますが、マカオでこれだけ撮ってくるのはたいしたものだと思います。

’1976 日本フォトコンテスト 7月号
岩宮武二写真教室
「森の中・雨日・炎暑」
森の中
出席者:岩宮武二・藤田和宣・蜂須賀秀紀・川上緑桜・須原史郎・安田穫史

「開きなおれるか、この安田写真術」

●安田 グラビアに載せるのは、森の中にいる鳥が飛び立つことによって破る、空気感みたいなものが写せたらと思ってやったものです。

●須原 僕には、この感覚は分かりませんね。僕は同じ森でも本文に載せる ① の方が分かりますね、なぜブラさなければいけないのかという単純素朴な疑問を持つんです。

●川上 僕は、やはりこれが一番好きです。最近、僕も安田君の気分を吸収したいと思って、うまく口では表現出来ないのですが、独特の良さがあると思うんです。ブレた事がものすごく面白いんですね。

●藤田 僕はブレていない方が好きですね。つまり、写っているものがよく分からないというのは、好きじゃないんです。僕は写真を見る時、自分も写真を撮る立場なんだということを忘れて見ようとしているんです。大体、写真をやってる人というなは、一寸違った見方をするでしょう。だから、安田さんのグラビアに載せた写真を見た場合、写真を見る目が一定以上のある人だったら、何かを感じるでしょうが、一般の人というか、多くの人には分らないんじゃないですかね。

●蜂須賀 僕もムードからいうと本文の ① が好きなんです。ブレ写真というのは、僕は分からないんですが、もっと沢山あったら森の空気感が出たと思うんです。テクニックとしては、非常にうまいと思うのですが・・・・・・

●岩宮 まあ、安田君というのは、① のような写真をズーッとやってきた。また、② の様なものも撮る。彼が箸にも棒にもかからない時代から知っているんですが、大変器用で感覚のいい人なんですよ。先輩たちのやっているカメラワークを見て、パッパッと要点を掴んでくるんですね。そういった気分を真似て、パッパッとやって例会へ持っていくと評価が高かった。それじゃこの辺に写真表現のキーがあるんではないかと気付き、パーと彼自身の表現を展開していく・・・彼くらい急に写真というものを掴んできた男は、僕の周囲にはいませんね。それでこのような写真は、もうマスターしてしまったんですよ。この手のものは、何時でも撮れるという自負があるんです。それで何か新しいものを求め、自分を脱皮させていこうというあらわれが、このグラビアに載せる写真なんですよ。そういった心情は、安田君に聞かなくても良く分かりますね。七転八倒している感じですよ。なるほど、皆さんからも、分からないと云われていますが、こういったものは、10人いるならその中で1人でも同調者がいたらまんぞくすべきなんです。① のような写真は、10人いたら何人かは必ず同調者がいるんですよ。それくらい、安田君が開き直れるか、直れないかのところにたってやるべき写真ですね、これは。

’1976 青玄 11月号 295号
「雨日」・「伊丹夫妻」
招待美術廊/安田穫史の二枚の写真について/三樹彦

 穫史はカクジと読むらしいが、些か戸惑う。それも道理で、本来の安田稔を、改名して間がないからだ。既に、旧名時代の彼は、二科を始めとする各種の展覧会やコンテストで、常に上位の入賞入選を果たすことで写真界に名を知られている。ほかにも東京・大阪ニコンサロンで、個展を催すなど、光芸クラブにあっては、正に若手の希望の星。穫史を一口に評するならば、影像の詩人であり、その清潔なリリシズムを湛える画面に魅了されている人々は、有野永霧を筆頭に、僕の身辺にも数多い。例えば、この「雨日」と題した一枚を眺めてみよう。手前に大きく、遊具の鐶が吊り下がっている。尖端には、雨露が宿り、鋭いまでの光の凝固を見せる。あとは、雨に煙って、朦朧とした景が、それなりに深い奧行を感じさせる。そんな中に、今一つの点景として、白い遊動椅子が、ぼうっと浮き彫にされる。この大きさや、見え加減が、画面構成の上で、まことに絶妙な在り方を示す。これは、考えてみると、心憎いまでの影像計算の結果であるといえよう。別の一枚は、大阪ナニワフォト・ピアで開かれた光芸クラブ展での自作三枚のパネルを前にした三樹彦像。いや、公子をも加えた<或る俳人夫婦像>とでも題したいスナップ作品。実はこの前後も何枚かあって、連続コマ撮り風にもなっているのだが、この一枚だけでも、人物の動きは十分に捉えられている。「自分のしらない自分」を穫史によって、つきつけられたようだ。とかく、この世で恐ろしいのはかかる写真家の眼である。カメラアイである。


●山本信・295号は先ずアッチャップリン的な主幹。つつましく笑っていらっしゃる公子先生、帰ってからも本当に楽しい一齣間でしょうと・・・安田氏の写真「雨日」には計り知れない詩を思います。 
●池上拓哉・安田穫史氏の「伊丹夫妻」「雨日」は素晴らしい。とても好きです。心そのものと云う感じ。対象へのなみなみならぬ愛情の程が伺われ心うたれました。それにしてもバッチリと表現が決まるまでをいろいろ考えてみますと俳句と同じだと思います。
●田村千代子・安田穫史氏のフォト二枚。それぞれ秀逸、さすがわさすがわ。「光芸クラブ展での伊丹夫妻」に思わず乾杯をあげたい程・青玄も重量感を増しましたね。 
●窪田久美・安田穫史さんの三樹彦夫妻の写真の自然な動作のユーモアに私の心も和み、何時迄も見入っている。見る人により物語の広がりを感じる。三樹彦先生の句の温かさはこの一枚の写真から充分受け取ることが出来る。公子先生と焦点の違うこの写真から会場の雰囲気が伝わって来る様うだ。もう一枚の遊具写真と合わせて私なりに物語りを組み立てて見たくなりました。
●西沢洋子・安田穫史氏の「雨日」の吊り鐶の雨滴と遠景の遊具の面白さ、雨に煙った素適な写真に暫しうっとりとしていました。主幹の解説と共に印象に残るページとなりました。
●下村鍈二・今月号は写真が多くて大変楽しいでした。安田穫史氏の雨日情緒が溢れていていいなあとおもいました。先生御夫妻は、またなんとも楽しくて、誰が見てもニヤリとするのではないでしょうか。
●三宅とよ子・安田穫史氏の写真「雨日」の詩情、先生御夫妻の表情の対比の妙、共にすばらしい。
●足立美代子・295号は写真が特に良かったです。表紙と青木君夫さんと安田穫史さんどれもです。
●中村英子・安田氏の写真は雨滴、荒れる立木、吹き飛ばされそうなブランコ、ふと目が移ったところは又何と先生お二方の明るいお姿、微笑先生のおどけた様に撮れてる手、大きな白い手、腰痛にふさぎ込んでいた休日が吹っ飛んで一緒に笑いたくなりました。
●木村真佐男・写真「雨日」はすばらしいの一語につきます。
●永尾ふさ乃・「雨日」詩的な写真「伊丹夫妻」思わずほほえみがでます。

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